越後三条鍛冶の歴史 


いにしえより伝わる鉄・鋼の生産

三条市における鉄の歴史は古く、古代から各時代を通じて鉄の痕跡を見ることができます。室町時代には、大崎鋳造師と呼ばれる技術集団が広く活動していたことが知られており、彼らは当時その高い技術力を持って鍋や八幡宮に奉納される鰐口、寺の梵鐘などを製造しており、別の遺跡では製鉄が行われていたことも分かっています。

副業の和釘づくりが直接の起源

戦国時代も終わり平和な世の中になると武器に代わり新田開発に必要な士農具や都市の人々のためのさまざまな道具類の需要が高まってきました。その中、三条では毎年のように起こる水害から農民を救うために江戸より和釘職人を招致し副業として和釘作りを奨励しました。江戸時代初期(1625年)のことです。この後、江戸で起きた「明暦の大火」(1657年)による膨大な和釘の需要を受け、副業ではなく鍛冶専業職人が生まれ集落を形成。その後、会津地方より鉈(なた)などの製法が伝わり、さまざまな刃物類が製造されると、全国に販路を持つ三条商人たちを媒介に製品を販売。さらに新たなニーズを吸収し商品開発に活かすといった好循環が繰り返されました。


岩崎航介氏との出会い

近代になり刃物を科学的に研究する試みがなされるようになると、刃物造りの研究で第一人者である岩崎航介氏より金属顕微鏡を使った科学的分析を伴う画期的な刃物造りが三条鍛冶に惜しみなく伝えられました。この出来事により、三条鍛冶は「伝統」と「先端の科学」といった両輪を、その技に内包することとなりました。

 

世界一の刃物作りに一生を捧げた三条市の偉人 岩崎航介氏の軌跡


経済産業省指定伝統的工芸品

越後三条打刃物 

平成21年(2009年)4月、越後三条打刃物が経済産業省より「伝統的工芸品」に指定されました。農家の副業から始まり、利用者のニーズや先端科学を取り込むことで今日に至る越後三条鍛冶の新たな一歩が踏み出されました。


〈引用〉

三条鍛冶道場 「越後三条鍛冶集団 ~その起源と歩み」